オッサンが返してきた言葉に混乱する俺は、頭の中に組み立てていた現実を取り壊し、作り笑顔を作ることとした。
だが、すでに脳味噌の鳩尾に尿酸みたいなのが溜まってきて考えることが止まらなくなっていて、オッサンの言わんとすることの不明さに心臓は高鳴ってゆくばかり
密閉したミキシング・ルームの中へ設計通りに押し込められた超巨大なコンソールの表面を
滑り旋回するフェダーやツマミやVUメーターの針達が醸す躍動とは真逆の
奔放な快楽に頬ずりしていた時代が沁みったれたアーリーアメリカン内装の喫茶店では
それぞれのテーブルの真ん中に1個ずつ色違いで置かれているがために
一握りにした宇宙の様に供えられているパステルカラーのシリコン製シュガーポットの内部で
びっしり身を寄せ合いこびり付いたつぶつぶした流線型達が
虫かクミンシードかを俺が分からないのと同じだ
と考えている間に、顔が裂けて割れるほどに大きな馬鹿笑いの声が頭の中で膨らんで口から漏れそうだったが、
「わしの作ったサラシ鯨の炒り煮も!木内さんも最高!」
オッサンの箸置きになってる小鉢の中にあるもののことか
「あははは!」
オッサンの名前って木内なのか
「ワッさんも最高!」
ワッさんと木内が互いに乾杯の仕草をしながら笑い出す始末の方にむしろ耐えられなくなり俺は叫んだ。
「ワッさん!俺も鯨の炒り煮ください!」
カウンター席しかないヴァルールは、だいたいいつもだとそろそろ混みだしてくる時間帯になるのだが、まだ18時を回ったばかりでこのオジさん2人は既にもう酔っ払いそのものにしか見えない。
大丈夫かワッさん
まだ俺たち3人しか店内には居ない割に、俺の声はやかましかったかな
丸っこくて大ぶりで土鍋に似た器に入った鯨に大根、そして人参を合わせた炒り煮
「木内さん。シンちゃんはねえ、こう見えて小説家なんだよ」
九州醤油色で照ったその盛りを菜箸でざっくり煮汁ごと混ぜ返しながら、ワッさんは俺を木内さんに紹介する。
「お兄さんはしんちゃんて言うんですね。てかなに…小説⁈を書くの?」
「ええ。」
「はあ~!」
大袈裟に感嘆して見せながら木内は続ける。
「ワッさん!こう見えてなんて言うのは失礼だよ。シンちゃんは俺らとは違って、見るからに賢そうやし。あ、ごめんね。俺もシンちゃんて呼んじゃって良かですか?」
「いやいやいやそんな。シンちゃんで大丈夫す。むしろ、そうシンちゃんて呼んでください!」
「おお。シンちゃん!良いねえ。」
「でも、小説は書きたくて書いているだけで。小説家なんて言ってもらえるレベルじゃないんですがね。」
「シンちゃんのクジラお待たせ。」
料理人特有の逞しさを携えたワッさんの腕の力で俺のおでこの前に鯨の小鉢が運ばれてきた。そして俺の腕が伸びてくるのを、微動だにせず静かに、色具合も佇まいもフクロウの如くピタリとして待っている。