綺麗じゃない花もあるのよ(#2)

〈里緒進一からあなたへ〉

家から一歩でも外へ出てしまってからの俺はいつだって我慢をしている。我慢を強いられている。

「違う。」

多くの無力で真っ当な人間達が作る社会を少数の上に立つ人間達が堅持したいが為の抑圧の重みを俺も一緒になって耐えなければならない惨状の沼に、ここが沼であるという判別なく嵌まりながら、ここが温泉かの様に嬉々として浸かっているのが真っ当な人間だ。
それなのに俺は、「渡るな、吸うな、捨てるな、漏らすな、慌てるな、盗むな、笑うな、泣くな、食べるな、行くな」といった、禁ずる文字ばかりに視覚を取られる俺の脳のどこが異常なのだろうか。
そしてそれら抑圧へ即座に従う俺の身体のどこが正常なのであろうか。
例えばあの日、去年の真夏の夜。
割と頻繁に使う居酒屋でも俺はまた抑圧に屈した。

だが、そんな出来事は、「天才とは苦悩のことを呼ぶのだ」と誇り高く信じる俺にとっては、その痕跡までをつぶさに全て掻き消したい黒歴史(恥ずべき出来事)となりはしない。
なぜなら、今から3年後の2020年には渾身の処女作を寄稿するつもりの新人文学賞でセンセーショナルに俺の才能が世に知れ渡る。
そしてソレをキッカケに名実共に高名な小説家となり上がる俺は、まずこの国で、日本を代表する知識階級を従えた文化人と評される。
また、曲がり狂って酔いたくったこの世界をペンの力で救うメシアとしてメディア界の上層に君臨をしていく最中、俺の「そんな出来事」達が遂には花を咲かせ日常的にインターネットやテレビで流される天才特有の伝説や逸話に成るだから。

「お兄さん!もいつも私と同じボトルの、焼酎、呑んでるのね」

ヴァルールの大将のワッさんと、ウェブで読んだだけの美味しそうな料理の作り方や、互いの近況についてといった話をしていたのに。
俺の座っている席から1つ空けた右隣の席にいたオッサンまでが俺達の話に混ざってきた。

オッサンとは知らない仲ではない。
顔馴染みではあるし、きっと俺よりもすこぶる古い常連だと勘付いていたから、煩わしいが決してぞんざいに扱いたくはなかった。

オッサンの目の前には大分県産の麦焼酎の昭㐂光の真紅で透明な5合瓶が、繊維の粗く目立つ厚手の黒い和紙で出来たラベルを俺の方に向けられた位置で立っている。

黒い和紙は手で破り千切った様な雲や霧みたいな形状

そして、そのラベルの真ん中に直径1cmほど空いた赤い穴と、オッサンの充血した両目が一緒になって俺を見つめている。

俺はその3つの赤目のどれをも見つめずにオッサンが両手で軽く触れている水割グラスあたりに目をやりながら応えた。

「美味しいですよね!」
「ああ、これね!これがまた焼酎に合うんだよ!」

ああ、なんて世の中は不可思議で、人は偶然にとらわれるんだ。

 

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