[或る用の疎]<10>第2章『由』(3)

我々が人間である以上、どの階層で生活をする者においても、情報化社会が浸透した時に、情緒が情報の質を落とす現象を止める為の情報は生み出せず、価値という言葉が嘘と同義であることを貨幣経済の元に居た人類は判ってしまったのが21世紀の半ばであった訳だ。

それでも旧来の労働に従事している者達が少なからずはいる。生活体系の指揮監督、そして意思決定や生産構造の最上位に就く者達だ。

ただ、こういった職へ従事する者達への報酬も金銭や現物資産などでは無く、勤職に際して被るストレスの軽減のためのコンテンツサービスの使用権であるらしい。

そして、世の中の8割程の者達は旧来の労働に従事してはいなく、勤職階層に対して特段の憧れや反発意識を持つ訳もない環境の中で生活をしているので、その勤職に纏わる仕組みなんかは興味を持たない。その仕組みを公表する義務や利点などを考査しながら生活する者達も極々僅かである上に、流動的に変遷していく仕組みでもあるのだ。噂では、どうやらヘッドハントから交渉を経て合意した者が勤職しているとのこと。

私達がタスケや未知予の年頃であった21世初頭で似ている事象で解説すると、一等前後賞合わせて数億円が当たる宝くじで高額当選した人みたいなものだとでも表せば分かりやすいのかもしれない。当事者と経験者のみぞ明確に知れる仕組み。

 

『そんな君は、人間ではなく時間だぞ。いづれ訪れる”時間の概念が途絶えた時”に、そんな君は何をしているんだ?』

 

これは、タスケの曽祖父・藍田亦介(あいだ またすけ)が、その死の間際の床に横たわるのを正座して上から見つめていたタスケの父に残した言葉である。

父曰くは、一定のリズムでひたすら前に進み行く時間の様な人間になろうとするな、という意味だろうとのことだ。

「自分の頃と激しいばかりに変化した時代に産まれ生きゆく君にこそ、俺の父親が伝えたかった言葉なのかもしれない。」と前置きして、タスケが10歳の誕生日にタスケの父の口から直接、それを聞かされた。

 

それから5年後の15歳になってから詩人を仕事として選んだタスケは、書庫にある爺さんの本達の中で偶然に見つけた随筆集の背表紙にあった『藍田 亦介』という文字で実の爺さんと再会した。それから詩人として、間間タスケ(あいだま たすけ)と名乗るようになって現在に至る。実の父母に与えられた名前はその時に捨てた。もう厳密なレベルでは必要とされていない”戸籍”の更新変更は簡単だ。そもそもタスケ達の世代にとっては、産まれた時から印鑑や直筆サインといった旧来の身分証明すら必要でない時代なのだから、私達にとっては簡単になった、とする方が正確か。

 

『今何をしているかよりも「今何を想像しているのか」の方が、あなたには大事なんじゃないのかしら。』

 

そして、これはタスケが実母から、詩人になる前日に掛けられた言葉だ。

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