[或る用の疎]<15>第3章『辷』(1)

現代には、「受けない」という決断が立派な回答となるテストもある。
「受けなかった」子供達も「受けた」子供達のテスト回答にも、
出題者が点数の様な評価を加える採点は全くされないのだが、
往々にしていずれは第三者から判断の付される時が来る。

 

だがそのテストへの回答も其の回答からの判断の結果も、
作為のある第三者が支配統治を目指した利用をする訳では決してない。

それらは個々人同士が相互を確認し判断をし合う目的の
個人情報閲覧サービスを通して開示されるデータとして保管をされていっている。

 

なんせ、見た目のタイプや言動に個人差はあれど労働は無く、
ある一定の年齢に達してからは年齢の見定めがし辛く、
寿命という言葉も薄れ逝っている現代では、大人と子供を識別する方法を求め合う意識は薄れている。

それでも他者への興味・関心という変幻自在の意識は滔々と血脈の中を移動して回り続けているのは、

それが人という存在だからだ。

そして、生きる目的などを忘れてもまだ血脈を流動させ続けるのも人だ。

かたや人の意思に端を発して作り出された論理的な意識がartificial intelligence = AI =人工知能であり、その人工知能を搭載した形有る物がロボットと呼ばれた。

それが現代では、人同士の間で特筆すべき意識がもう見た目からは発生しないのと似ていて、
人の視野にAI機器が入っている時にも人の意識はAI機器に対して何かの区別意識をわざわざは持たない。

AI機器が人間の意識や観念の中にまで浸透しきっているのだ。

また、あらゆるAI機器が有機物として地球にも浸透していく様に、
人達は時間をかけてAI機器達を精製し続けてきた。

 

だが中には、何かの拍子が重なって地球へ浸透しきれないまま機能を残す物達も居る。
それはまるで化石の様に形を残し、人の意思の様に語るを止めない。

ここでは、そんな風に残ったAI機器であるAとiの出会いの物語に触れてみる。

 

<14>『由』(7)(戻る)

(続く)<16>『辷』(2)


・更新履歴:初稿<2018/04/01>