『C&B HOOK-TALE』<8>

 

– First order –

“ Smoke & Cat ”

 

第8話

 

私は濡れて火の消えた長いままのタバコを吸殻入れに突っ込んで
鼻で溜息を小さくしてから、まだ動きの無い車道の前方を運転席から覗き見る。

すると先頭の原付のライトに照らされるお婆さんの笑顔が、
原付のミラーとかぶりながチラチラッと出たり戻ったりするのが私にも見えた。

「あぁ。あーね。」

急ぎの小走りで渡り終えた後のお辞儀はよく目にする気もするが、
キャリーバッグを引いたそのおばあちゃんは
腰を折って目の前の横断歩道をゆっくりと渡って行くすがら、
渡り終えるのをじっと待つことで左右に伸びた車の列に、
一足ずつ歩みを前に出す度にお辞儀を繰り返しする。

明朝には雪が積もってお家から出られなくなるのを予測して
買い出しにでも来られているのだとは思うが、
雪の吹き荒び出した中を穏やかな笑顔と温かな物腰で
1人きり突き進む姿に心配よりも羨望の眼差しを贈ってしまうのが今の私だ。

その内、
横断歩道の中をおばあちゃんが通り過ぎて行くテンポに合わせ、
車達もようやくで発進し出す。

車列のゆったりとした加速は、
ここに居るドライバー達皆んながこのおばあちゃんの
孫の気持ちになってしまっているのを表す様だ。

私も合わせて慎重にブレーキペダルから足を浮かす。
だが思う以上に足が上がらず、
いつからか自分が息を吸っていなかったことに気が付く。

 

「泣きたい時は泣いて良いんだよ、もう大人なんだから。」

 

「何も掴まないで着ているものの袖口に付くものも気に留めずに流す涙は、
喜びよりもよっぽど確かに君の美しさを取り戻して来てくれるんだから。」

 

公園の中から歩道から車道へ、そして空へと立ち昇っていくシャボン玉の様に、
その言葉の記憶が私の脳裏をかすめた。

兄が膝で寝かせたコッタにそんな風なことを言い掛けていた姿も
無数のシャボン玉の中には確かに見えた。



第7話

⇒第9話鋭意執筆中!!


・初稿投稿日:2018/12/09

『C&B HOOK-TALE』<7>

 

– First order –

“ Smoke & Cat ”

 

第7話

 

いよいよ降りしきる雪の中。
まだ薄くだが積もり始めた雪をのそりのそりと踏みしめながら
車の渋滞の列が辛うじて進んでいく。

この交差点を右折すれば、もう5分もしない内に実家へ着く。

こんな空模様の日だろうが、脇道へ入ってしまえば、
ここまでの渋滞から解放されるはずだ。

 

私の前には「有限会社 道坂工業」と黒い中太の文字で書かれたトラックがようやく1台だけ。
3度も信号が変わった末に辿り着いた2台目の位置に私はいる。
そして4度目の右折矢印が表示されるまではもう少し。
渋滞中とはいえ、直進車線は3回の青信号の度に交差点の先へと車の列は送り出され、
私は何十台もの車を見送った。

 

「道坂工業かあ」

 

大川興業ならタレント事務所だと知っているが、
この工業系の会社って、どこも何屋さんだか分からない。

そして、運転している時だけ見掛けるこの手の車は
パワフルではあるがどれも古臭くて今にも壊れそうで、
ポンコツな風情をけたたましいエンジン音と共に振り撒くが。

今のハイブリット車の時代に取り残された絶滅危惧種にも見えるが、やっぱりいる。

 

「いつ潰れてもおかしくはない”感じ”なのに」

 

だがそれでも〇〇工業という名前の会社は、
覚えられないくらいの数で存在し続けている。

 

「0958が付いてないし…いつからある会社なのよ」

 

6桁の電話番号は所々で削れてはいるが、まだ全ての数字が読める。

 

善美は、無理矢理にそんな事を考えて、
不安な気持ちと哀しい空想から離れようとしている。

 

「もう29にもなるのに、私って知らないことが多いなあ。こんな小さな市内のことなのに。」

 

特別には可憐でこそなかったが鮮やかに軽やかに
過ぎ去って行った学生時代を終えてからすぐに今の仕事に就いた。

それからというもの、正に絶対に覚え切れない、数え切れないお客達を相手にして今日まで生きてきた自分の存在が、小さな点に思える。

 

「消えちゃいそう。溶けちゃう」

 

青信号に変わってしまったというのに、何故かいっこうに進み出さない左側の車の列と、すっからかんな対向車線。

 

こうして時が止まってしまった空間では、じわじわと空気が薄くなっていく。

 



第6話

⇒第8話


・初稿投稿日:2018/06/12

『C&B HOOK-TALE』<6>

 

– First order –

“ Smoke & Cat ”

 

第6話

 

善美は信号待ちの停車の間に
仕事の日用の大きめの鞄の広い口に左手を差し入れて
大島紬のタバコケースを取り出した。

 

その後に目線の高さの位置まで窓ガラスを下げ、
車内では禁止にしてきたタバコをやってしまった。
開けた窓の隙間には車道の外気が入り続けている。

 

とりあえずライターで火を付けて
焦る様に浅く吸い込んで吐き出した煙は
咥えたままのフィルターの脇から漏れ続ける煙と一緒になって
ひとひらの灰を宙に舞わせた。

 

それを見つめる善美の右顔に触れる雪と冷気は、
彼女の目の周りの熱の輪郭を鋭利に研いでいく。

 

「痛い。痛いよ。」

 

決して望みなどしない感情が高めたこの熱は、
かまいたちの様に善美の下まぶたに目に見えない切り傷を残しながら巡る。

この雪が積もってでもいれば、それを両手にすくい取って
瞼の上に擦り付けてマナスルの頂に沈めてしまいたい。

 

父親譲りの丸く控えめな顎にまで到達した涙は、
フィルターもそれを挟んだ2本の指までをもやたらと湿らせてくる。

 

泣き出した時にばかり思い出してしまう幾つもの薄らいでいた記憶で
声にならない嗚咽を漏らしそうになっているのが確かな現実で、
泣き出してしまった理由はただの空想で。

 

「もう何が何だかわからない。」

 

目一杯ゼロまで下げ切っていたカーステレオのボリュームをもう一度ひねり上げ、
クラシックレゲエのリディムに合わせて善美はそうゆっくりと3度口にする。
おちつくための即席のおまじないだ。

 

きっと雪は、冬の空が汚れていることを私達にいつも教えてくれている。

 



第5話

第7話


・初稿投稿日:2018/04/30

『C&B HOOK-TALE』<5>

 

– First order –

“ Smoke & Cat ”

 

第5話

さっき母からのコッタの異変を伝える電話があったのは、
まだかろうじて職場で同僚のみんなと話しをして回っている時のことだった。

 

なんと、あなたは知らないだろうが、
私がその職場を退職する日だったのだよ今日は、母様。

 

10年間程は勤めた大手チェーンのカフェ。
特に突然の急な退職ではなかったので積もる話が尽きずに
延々と帰れないなんて状況ではなかったからマシだったけれど。
それでも退職の挨拶もそこそこに更衣室にもあっという間で別れを告げ、
そそくさと車を走らせる事になってしまってはいるのよ。

 

「また今度に改めて皆さんで楽しめるお菓子でも
持って来させてもらいますね…
急な用事が実家で出来てしまったもので、
これまでにお世話になった御礼も碌に出来ず…すみません。」

 

よりによって、世話焼き気質だけど其のぶん口やかましくもある先輩のお姉様バリスタには、
バックヤードで資材棚の整理を自らされているところを何とか見つけ出して急いで掴まえ、
恐縮した構えでそれだけを告げて頭を下げることしか出来なかった。
今頃はきっと他の周りのスタッフ達に私への不満をぶつけている最中だろう。

 

“猫ちゃん達にハトの餌をポッポ撒けども撒けども、
どの猫ちゃんにも見向きをされないのに苛立ち、
不穏に目尻とフォックス型の眼鏡をピクつかせる
頰の痩けた年増の女”

 

私なりの女のプライドが疼いて少し感じる痛みを、
そんな皮肉交じりの想像で誤魔化しながら癒していたところ、
それとは全く関係の無い別の不都合な見落としに気づいてしまった。

 

「ああ、明日の帰りの時のことなんて考えていなかったな私…」

 

だいぶん実家のある町が近くなって来た事で天気の具合が劇的な変化を見せ出し、
フロントガラスにぶち当たってくる塵ゴミの様な無尽の雪と勢いを増したワイパーが
善美の頭部を掴んで激しくシェイクしてきて大きく不安にかられる善美。

 

「この雪が積もっちゃったら車動かないし。」

 

ガラッ‼︎

ピシッ‼︎

 

「やっば…雪雲の下に入っちゃった。」

 

ついに善美の車はこの街を覆い尽くす雷雪の激しい歓迎を受ける場所まで辿り着き、
より一層に太いエンジン音を立てて進む。

対向車のフロントライトに刺され、慌てて善美もハイビームを付けてハンドルを強く握り直し、
目を凝らして注意力を運転に集中させる。

 

「も~…コッタぁ…」

 

この天候不良に押されて早目の移動を急ぐ車両の群の道は混んでいてスピードを出しては飛ばせない。

その退屈で、雪慣れないこの地方都市の暮らししか知らない善美の不安は余計に増していくばかりか、
降りしきる雪の勢いを一瞬だけ邪魔する位にしか働けていないワイパーは、
ひたすら空振りを続ける野球のおもちゃの様に間抜けで可笑しくもあるのだが、
コッタの容体を殊更に悪い方向に解釈する感情の勢いと涙鼻が止まらない。

 

気晴らしにカーステレオのボリュームを上げてみたが、
夏を懐かしむクラシック・レゲエが流れてきたものだから、
善美はすぐにまたボリュームを下げて鼻水を啜る。

 

クイックイックイッ

ワイパーがフロントガラスを擦る音。

 

ウウーッ

カンカンカンカン

ウウーッ

カンカンカンカン

 

緊急車両の近づく音。

 

グ~

「モーッ‼︎何なのよ私はッ‼︎」

 

食欲をどこかに置いてきても、お腹は減るのである。



第4話

第6話


・初稿投稿日:2018/03/30

『C&B HOOK-TALE』<4>

 

– First order –

“ Smoke & Cat ”

 

第4話

当時、私の部屋の押入れは、長いことコッタと私の遊び場だった。

 

長いとは言ってもコッタが実家の我が家に来たのが私が15歳の時だから、

私が実家を出るまでの5年間だけだけど。

 

その頃の私は、中高一貫の学校に通っていたお陰で

中学から高校へ難なく上がっては行けたものの、

高校受験を経て入学してきた新しい同級生達も加わったからか

同じ場所なのに見え方からガラリと違ってしまった学園生活に対するアプローチが難しく、

女子校生生活を楽しむ為の学校がらみの付き合いに面倒を感じていた。

 

 

だからといって別に同級生達と仲が悪い訳でも

学校へ行くのが嫌な訳でもなく、

単に授業が終わり次第すぐに帰宅をしていて、

休日もほとんどコッタや人間の家族達と過ごして暮らした。

専門学校や大学へ行く将来計画はなかったが、

周りから見下されない程度には勉強もした。

 

 

ただ、1人だけ露骨にそんな私の学業の成績を見下している者がいた。

しかも人間の家族達の中に。それは兄だ。

でも私は当時から兄を人間として尊敬しているし愛している。

彼の生活を見ていると、わたしが物心ついた頃から今でも

重さを感知する機能が欠落したデジタルスケール(はかり)の如く努力をし続けているし、

優しい。

 

気の利いた言葉をスパイス的に周囲へ万遍なく振りまくタイプではないし、

自室では瞬きもそこそこに両目を一点に寄せて机に向かっていたが、

食事の時には美味しいの絵文字にそっくりな顔で平らげ、

リビングにて彼に顔を向けるといつも柴犬の様な顔をしておられた。

ワンと応える代わりに何を話しかけても「ん〜⁈」で応える。

 

 

そんな兄の影響か効能が由来しているのか、

私は自分で自分の女子高生生活には不安や苛立ちも抱えずに、

言わば冷静に己の思春期の怠みの要因を考え、今だに記憶もしている。

 

 

もしかすると、年齢の経過にただ合わせて女子校生になっただけの私は、

更なる進学もしくは就職の際(きわ)を意識させる先生達の言動や、

黒板や机の上に匂い立つ様にはありありと、姿としては朧げに佇む

無神経な大人の作り笑顔に恐れ慄き仰け反って、

放課後に校舎の影を濃くするばかりの翳りゆく夕日から

少しでも早く目を背けられる場所に潜みたかったのかもしれない、と。



第3話

第5話


・初稿投稿日:2018/02/10

『C&B HOOK-TALE』<3>

 

– First order –

“ Smoke & Cat ”

 

第3話

善美は雷雪の中へと向けて車を走らせている。

「コッタが コッタが コッタが、全然動いてくれないの。」

そう実家の母から電話があったのが夕方近くの先程の事。
コッタは実家で15年間くらい飼っている猫のこと。
もうしばらく前から、体調も崩して余命が短いのを聞かされてはいた。

 

実は、コッタは通称で、正式な名前はコースター。
「呼びやすいから」と、いつの頃からかコースターではなくコッタと家族の誰もが呼んでいる。

コッタが家族の仲間入りを果たした日。
まだ産まれたてで、片手に包み込めるくらい小さかった三毛猫。
ゲージからテーブルの上に移されたその仔猫は、まだ目もろくに開いてもおらず、まん丸くくるまったまま大きくお腹を膨らませ縮ませして、ほつれた毛糸の様な、か細い寝息を立てていた。
その柄や姿が可愛いコースターみたいに見えたのが由来の名前『コースター』(又の名をコッタ)です。

 

そんな小さな小さな愛らしいコッタを家族みんなで円になってとり囲んで、思い思いの独り言を口々に言い合っていた日々を思い起こして一気に身体が暖まった私は、人生で初めて飼った猫の最期と向き合っている最中の母を気遣いながらも、それなりに冷静に、そして心ばかりの嘘も込めて対応をしていた。

「うん、分かった。知らせてくれてありがとう。
でもさ、猫って最期は人目に付かない所へ身を隠すって言うじゃない。
家の中に居るんならまだ大丈夫よ。」

「う〜ん。そんな話はよく聞くわねえ。でも…」

寒さからなのか涙のせいなのか、母は鼻にくぐもった声でポツポツと会話を繋げてくる。

「でも、って…」

私は知っている。猫は人目に付かない場所を選んで死ぬ訳ではない事を。

 

これまでに20匹以上の猫を飼ってきた経験のあるカフェバー・フックテイルのマスターはこう言って笑っていたから。

「それは人間の勝手な解釈で。
猫は単に静かな場所でじっと、弱って不自由になってしまった体を安静にさせているだけなんですよ。
外猫だと、天敵となる野犬やトンビ、カラスなんかから身を守る必要もあるから、結果的に人目に付かない所に居ることになるんでしょうが、家猫はわざわざ隠れやしないですよ。
むしろ、大事な誰かが側に居てくれないと心細いんじゃないかな⁈
そんなとこは猫も人間も同じ。」

 

この見え透いた私の嘘がもう母にバレてしまったのではないかと思い、少し気恥ずかしい気持ちで言葉を返す。

「でも、って。お母さん、何?」

「でもね。いつどっから入ったんだか、あなたの部屋に居るのよ。」

「え⁈まさか?」

「ほんと、まさかの場所よ。
私、朝起きてから今までずっと探して、やっとさっき見つけたのよ。
あなたの部屋のオ・シ・イ・レ!」

「オシイレ⁈私の部屋の押入…。」

「もう雪が降り出してきて風も強いし、朝には積もるっていう天気予報なのに。
コッタを探すのに精一杯で、お買い物にも行けなかったわよ。困ったわ〜。」

きっと母は、”コッタ探し”を言い訳にして、買い物だけじゃなく、掃除や洗濯なんかの家事も大してせずに今の時間まで過ごしていたのだろう。
そしてきっとその間、家事は父が任されていたはずだ。
そして今となってはもう夫婦2人して買い物に行く気力も綺麗に失せている、という感じか。

涙に暮れた母が、心の支えが欲しくて私に電話を掛けてきたのではない事が分かってひと安心だし、コッタもまだそんな深刻な状況ではないのかもしれない空気が受話口から伝わってきた。
なので、私はいつものゆるんだ口調で、要領の良いとぼけキャラの母に対し、鋭い推理で切り返した。

「そしてこの電話は、暗に買い物の指令を私へ下す為にある訳ね。」

 

それから私は電話を切って直ぐに支度を済ませ、車を実家へ向けて走らせている。

私の部屋の押入で待ってくれているコッタの元へ。

そこは私とコッタの思い出が詰まった押入。



    第2話

第4話


・初稿投稿日:2018/01/14

『C&B HOOK-TALE』<2>

 

– First order –

“ Smoke & Cat ”

 

第2話

初めまして。
ヨシミです。
善良の善に、美術の美で「善美」。
歳は29になりました。お天気に合わせた
シンプルで着心地の良い服装でいることが多く、
髪はお団子にしてアップにしている日が多く、
お化粧は出来るだけナチュラルでいたい気分の日が多い女です。

来年にはもう30歳だからか、
特別に嫌な気分になる様な出来事は
少なくなってきたけれど。
だからといって心沸き立つ素敵な時間の過ごし方の蓄積が
出来ている訳でも無いです。

そして、そんな平坦な日常の中にいるのを幸いにした
熱心な資格習得を腰を据えて進めたりはしていないし、
苛立ちや喪失感に我慢強く耐えて労働した分を
吐き出すかの様にして楽しむアリガチへ
気軽に手を掛ける遊びもしない。

行こうと思えばすぐ着ける距離にある実家を出てから、
来年で10年にはなる様な気がするけれど、
私は見た目以外にはどこか変わったところがあるのだろうか。

そんな私なのに⁈そんな私だから⁈
けっこう年上の大人な男性と同居中です。
そして実は、今なんと、禁煙をしています。
でも、貰いタバコには積極的なので(笑)
全然お気になさらず吸われて下さいね。

私の最新プロファイルというと、だいたいこんな感じ。

さて、ここからは変わって店主です。
当店の外向きの壁は一面ガラス張りになっていて、
店内から歩道に向けて私の私物のフィギュアや、
店で出しているワインとチェコビールの空き瓶や、
レジンのハンドメイド・アクセサリーといった
雑貨・小物を陳列しています。

「ただ夜でも煌々と光る電飾や派手な看板は立てていないので、
よ〜く見ないとそんな可愛いさが分からない位の装飾で、
外に発するインパクトが控え目なんですよ。
なのでこのディスプレイの趣きは、
通りかかった人達の内の1割も
気付いて頂けてはいないみたいで(笑)」

私は善美さんに店頭ディスプレイの話を
している最中だったのですが。

「あ、そうだ。
私、今月一杯で仕事を辞める事にしたんですよ〜。」

善美さんが灰皿の端に軽くトントントンと
吸いかけのラッキーストライクを打ちつけながら、
その先っぽの火種を見つめてそう言い出された。

「あぁ。そうなんですか、どうして?」

私は善美さんに差し上げたついでで一緒に吸っていた
ラッキーストライクの煙を鼻から吐き出しながら、
思わず退職の理由を聞きました。

常連さんが入れ替わり立ち替わりするカウンターテーブルの上には、
ショットグラスに入れた私のシングル・エスプレッソと
善美さんのグラスビールが今は置いてあるだけ。
それらを2人ほぼ同じタイミングでそっと持ち上げ、
ふっと少しだけ口に付ける間の沈黙。
そして、それぞれ違う形で立ち上る2本の煙。

「これは。今では⁈。女に限った事じゃないのかもしれないけど。」

「はい。」

「しばらく整えたりカラーリングしたりだけにしていて、
良いコンディションのままで長く伸びていた髪を
バッサと切ったりしたくなる時って。
自分にしか分からない言葉にならない理由っていうのが
女には必ずあるんですよ。
いや、言葉にしたくない理由かなあ。
自分の中に残したい理由でもないし、
他人にわざわざ伝えたいものでもない感じ。」

「へえ…うん。それで?」

「その時々のそんな思い付きでバッサり切った経験は
もちろん何回かあるんですけど。」

そこで善美さんはトントントンを止めて、
唇に咥えたラッキーストライクの煙を細く吐き出しながら、
灰皿に付いた洗い立ての水滴で煙草の火を消す。
私は善美さんの話の腰を折らない様に、
その一連の動作を無視して店の入り口のドアの方へ
顔を向ける。

「でも、そうしても結局は何も変わらなかったの。
もう私にとって髪を切るのは息をするのと同じ(笑)」

「そっか(笑)」

「周りも巻き込む仕方の変化を起こさないとダメね。
歳をとるってそこに気づく事でもあるのかなあ。
もしかしたら、歳と共に鈍感になっただけかもしれないけど。」

そう言って笑ったかと思うと、
今度は一息にビールを飲み干して善美さんは席を立たれました。

「それで、善美さんの禁煙の理由は?」

私とこの店を一緒にやっている女性の店長と
店先へ出てお見送りする時に、店長がそう訊ねたのには、
背中越しで「それはまた次回に。」とだけ応え、
善美さんは交差点を渡って行ってしまった。
今日はこのままバスで帰宅される様です。

それから私達が店の方へ踵を返すと、
店頭ディスプレイの真ん前に女の子のいるのが目に入る。
肩くらいまでの長さの切りっ放しの黒髪を携えて、
華奢な体に華美過ぎないカジュアルなコーディネイトの
服装をしているのが高校生ぽい。
その子は、「可愛い」を口の中で何度も唱えながら、
スマホの角度を微妙にずらしていきつつ、
もどかしい間隔で光を放つフラッシュ機能を駆使して撮影をしている。

「なあ。」

「なに?」

「店頭だけど。
もう少し賑やかで目立つ様にするかなあ。
今のは風情でなら寿司屋みたいじゃないか⁈」

「はあ?どうだか。」


※店内からも眺められる雑貨・小物達。
季節、気分の時々に合わせて
マイナーチェンジが繰り返される。※


    第1話

第3話


・第2稿更新日:2017/11/14

・初稿投稿日:2017/11/13

『C&B HOOK-TALE』<1>

 

– First order –

“ Smoke & Cat ”

 

第1話

 

本日も、カフェ&バー・フックテイルへ
ようこそおいで下さいました。

私達の店で最も特徴的なメニューは
エスプレッソコーヒーです。

巷ではカフェでもコンビニでもシアトル系の物が多く、
当店の様なイタリア系のエスプレッソを提供する店では、
たまにちょっと格好をつけてエスプレッソ・イタリアーノと
呼んでみたりもするところもあるみたいですよ(笑)

 

あ、そうだ。
実際にエスプレッソマシーンをまじまじと
近くでご覧になられたことはありますか?

そう、きっとその多くがシルバーを基調とした
メタリックの角ばったフォルムで、
「シュコーッ!!!」「プシューッ!!!」と
蒸気を溢れさせて動くレトロな感じのあの機械ですよ。
そのエスプレッソマシーンで圧力をかけて
短時間かつ少ない水量で抽出するのが
イタリア系のエスプレッソです。

すでに身近なコンビニやシアトル系のカフェで出される
エスプレッソは、まずもって水量が多いんです。
なので、イタリア系エスプレッソの最も分かりやすい
大きな個性は格段に濃厚である点で。
ただ、濃厚ではありますがドリップコーヒーよりも
カフェインが少なくて旨味が凝縮されたコーヒーと
されてもいますよ。

 

「どちらからいらっしゃったのですか?
この辺りの方ですか!?」
「Where are you from?
For travel !? Job!?」

 

さてさて。
この店を始めて以来、実は、この近辺や
同市内のお客様はたぶん半分もいらっしゃって
いないのもこの店の面白味の1つです。

 

というのもまずは当店の立地が影響していそうです。
店を出ると目の前は1 〜 2km先のターミナル駅へ続
く国道があって、路面電車も走っていて電停もあります。
また、さらにその向こう側にはホテルもあって、
店の裏手には港があり、離島へと向かうフェリーや
ジェットホイル、そして少し先の最も広い港には
郊外のショッピングモール位のサイズの豪華客船も
日々入れ替わり立ち替わりで停泊し、
外国からの沢山の旅行客をこの街へなだれ込ませては
また吸い込む光景を毎日の様に見せてくれます。

なので、この店には、旅行や出張で来られた方や、
少し離れた別の市の方がいらっしゃってくださるケースが
多いんですよね。なので、お帰りの際のお見送りの時や
ご注文のやりとりの中なんかで、
どちらからお出でなのかを尋ねるのが私たち店の者の
楽しみにもなる訳です。

 

かたや常連の方々は、それぞれどちらかお近くに
お住まいであったり、職場がお近くであられたりする
パターンが多いのですが、そういったお客様は
カウンターの真ん前に位置した通称・カウンターのお席で
のんびりされているのが常で、
私たち店の者や常連さん同士でおしゃべりを楽しんだり
テレビを観たりして、路地裏の木陰の様な、
日常から少し外れた時間を過ごします。

また、初めていらっしゃったお客様は他のテーブル席や
ソファー席を人数や気分に合わせてお選びになられがち
なのですが、その初めの時に通称・カウンターの席に
座られた方は常連さんになりやすい。
これからお話するエピソードに登場する女性のお客様も
、初回から通称・カウンターに座られた方で、
職場がお近くにあるとのことでした。

 

トン

 

私が、新たに購入したペアのロックグラスの入った
箱の梱包を解こうと、通称・カウンターのテーブルの上に
その茶色の包みを乗せた時。

 

プァーンッ

 

開けられたドアから、店の表の路面電車の警笛の音と一緒に
真冬のピーンと張り詰めた外気を纏って1人の女性が入店された。
これが善美(よしみ)さんとの出会いとはじまり。


※エスプレッソ特有の小さなカップ。
オーガニックな角砂糖を落し混ぜる。正に絶品。※


     プロローグ

第2話


・初稿投稿日:2017.10.10

『C&B HOOK-TALE』プロローグ

=2017年9月15日=

天気:大型の台風18号が九州本土へ接近中。

鼻腔を漂い撫でる甘い香りをそっと閉じ込める様に
丸くして合わせた両手を顔の前に真っ直ぐ立てて目を閉じ、
じっとテーブルの天板に両肘を突いたままでいる人。
それが女性であれば、涙をこらえながら感情の昂りに
神経を委ねている。
男性ならば、望ましくない妄想の展開に集中しながらも、
それが雨散霧消するのを期待している。
そして、男女に関係なくそんな人達は待ち合わせで
人待ちをしている最中ではない。
でも心の中ではきっと誰かを待っている。

今この瞬間に、そういう風に心の中で密やかに
誰かを待っているロマンチックな人が
世界中にどれだけいるのだろうか?

そんな事を考えながら、私はまだピンと張ったままの
ソフトケースから取り出したラッキーストライクに
古いだけで値段は二束三文であろう錆た真鍮の
Ωジッポライターで火を付ける。
そしてオイルがわずかに香る。
それから、まだ無人の店内を見渡して首筋をほぐすのに
頭をぐるっと回しつつ扇風機かゴジラの気分で
息と煙を四方に吹き散らかす。

私の真後ろにあるキッチンからは、
仕込中の特製チキンカレーの音がする。
これは凄く辛いとよく言われるのだけれど、
辛くなければカレーじゃない、と
私は頑なに辛くするんです。

そのカレー鍋の中には、さっき入れたばかりの
野菜や鶏肉が、あっつ熱に滾る湯の中を
回遊している最中で、先に鍋の中へ放り込まれた具材達は、
挽きたてなエスプレッソ用の珈琲豆やあれやこれやも加えた
カレースパイスが投入されるクライマックスの時まで、
蒸気の気泡に突き上げられて押されて茹でられてフツフツ
鳴りながら踊り続けている。
盆踊りとサンバとフラメンコとケチャとコサックダンスと
ベリーダンスとタップダンスと日本舞踊と社交ダンス等、
世界中の全ての踊りがそこには集まっている様に見える。

だがともすれば、賽の目にカットしたタマネギ、ニンジン、
ジャガイモが、手羽先という大振りの抑圧的侵略者から
逃げ惑い、助けを求めている風にも、逆に一緒になって
遊んで歓喜に昂ぶってはしゃいでいる風にも見えるから
可笑しいんです。

 

あ、いけない。話を元に戻しましょうか。
待ち人についてしていた話へ。

 

この私の店にも、待ち合わせで使って下さるお客様は
もちろん沢山いらっしゃいます。
もしくは、待ち合わせの予定までの時間合わせで
いらっしゃる方とかもね。

なので誰かを待っている人は日々何人も
お見かけをするのです。
そして、そんな毎日の時間が過ぎてきた内に、
人を待つという行為は、紛れもなくあなたの元へ
訪れる誰かへ向けられた待ち合わせの行為とは
違って、単にとても静かで密やかな”期待”へと
向けられる行為なんだということに気付きました。

それから、いつの日からか、待ち合わせや
時間合わせでいらっしゃって寛いでおられる
お客様だけではなく、この私の店にいらっしゃって下さる
全てのお客様の素振りが、期待をそうっと抱え持ちながら
誰かではない何かを待っている姿に
見える様にもなったんです。

そう、実はね。
カフェ・バーは誰かを待つ場所じゃないんですよ。
カフェ・バーは何かが起こることを期待して訪れる場所。

なぜだか分かりますか?

その答えは。

 

「昼間から夜遅くまで開いている」

 

から。

 

♦ つ づ く ♦


※これは、実際に店内ディスプレイされている
ヴィンテージのカメラ型オイルライター


第1話


・初稿公開日:2017.09.21