エッセイ -1- 「名前自慢」

私の名前は「青山 玄」。
私の父方の祖父の名前が「青山 玄一」であったことから、私には「玄」という名が付されたそうです。そう、祖父のマイナス「1」が私です(笑)

さて。
今朝方、仕事先のトイレのカレンダーが4月のものに変わっているのに気が付きました。ちなみに、今年のそのカレンダーは毎月、漢文ネタを発信してくれています。

そして、その中にこんな一節がありました。

「空を談じ、玄を説く」

これまた何だか自慢出来る俺得ネタの臭いがプンプンするなと思い、ググってみたところ・・・解説の様な記事は出てきませんでした(笑)

 

※補足※
『産れたこと』と『名前』は、自分の人生の中において極めて貴重な【自分の決断を含まない純然たる貰い物である2つ】だと肝に銘じ、それらと向き合うように普段からしています。
そして、この2点についてのお褒めの様なお言葉をどなたかから頂戴した場合には例外なく、謙遜・照れ無く「良く言われます!」とドヤ顏か満面の笑みで乗っかり自慢をさせて頂く。あくまで貰い物であり、変化の無い事なので。
※※※※

 

ただ、検索に該当した記事達の要約文を眺めていた中に、こんな1節を発見したことで想像より以上の満足を得る事となります。

 

「goo辞書 げん【玄】の意味

2 老荘思想で説く哲理。空間・時間を超越し、

天地万象の根源となるもの。」

 

要は、

 

【時空を超越した天地万象の根源となるもの、それが玄】

 

文句無しで凄く良いよね!(笑)

 

小学校でよくある「自分の名前の由来」を発表する宿題の時は、「玄関の様な奥行きのある人間になって欲しい」という聞き取り結果だったんだけど・・・。玄関の奥行きなんてたかが知れてるし(笑)

 

尚。父に聞いた話だが、青山家の日本戸籍は祖父・玄一から始まっているらしい。
「本人の希望により」という1節も入っているとのこと?!中国からの移民だったのかな?原爆で戸籍簿が燃え消えたのかな?
ともあれ一度は中国へ訪れてみたいものだ。

 

※補足※
当の父は、3歳の時に長崎で被爆して、そこから続く戦後のゴタゴタの影響もあって中卒で働きはじめた者だし、在宅時はたいがい酔っぱらっていたし、長崎男児らしく見栄っ張りでもあるので、彼の文字知識由来の発言への信頼は薄く持つ様にしてはいる。
※※※※

 

そんな私の名前。
名前負けするのは仕方がないが、「我漫ずるところ無ければ道も無し」(われまんずるところなければみちもなし)。
せめてもは、公然と名乗れないような事を起こさない様に気を配り歩きたい。

 

~2018.04.02の出来事より~