[或る用の疎]<6>第1章『川』(6)

実際にアキラ式の人型サイレンが作動し始めてからどれほどの時間が過ぎただろう。15分だろうか30分だろうか、1時間か24時間か。もう精も根も尽きて、アキラを捉えていた、大声を出したいという思い付きの力が弱まってきた時、声の主に対する恨み節にも似た独り言が口から出る。

「不自由を解消したからといって自由が芽吹く訳ではないのは知っている。昭和の時代から平成も通り過ぎて、90年近くはもう生きているんだから、そんなことは知ってる。」

使う目的が違うから、大声で叫ぶのは不可能でもボソボソと独り言を呟くのには使える声帯。そんな声帯や、寒気や痛みの感覚、嘔吐のために伸縮を繰り返した胃を除いては、この謎の暗闇に溶け込んでいて、それらが淡く発光したならば、アキラの存在はクラゲに見えるかもしれない。

「俺はミルクを飲んだばかりの透明人間じゃない。ただの人間だろう?」

何かを、何か1つだけでも自分自身の存在を確かめたいアキラの意識が、目の位置を手探りで掴もうとしだす。まずは顔のあるはずの辺りを右手で触れてみると、ちゃんと耳の後ろ辺りに触れ、手首のところには耳の飛び出したへりを感じた。そこからは、勢い余って眼球を傷つけるなんてしないために、初めて赤ん坊を抱きかかえた時みたいに出来うる限り優しく、ゆっくりと手の感触をコメカミへ向けて移動させてから目尻に沿ってまぶたの上から、左手の中指でさらさらとまぶたの表面を撫でた後に眼球の感触を確かめるのに、軽く頷くようにして眼球でその中指を押す。

「目ある。」

そこでアキラは希望の光を求めて両目の瞼をエイッと開いた。だがそこに、やぱり光はありませんでした。

灯りが欲しい。

「そうだ、火だ。」

ライターでいい。

「ライターが欲しい!」

すると、利き手の右手は、元からそうしていたかの様にあっさりとライターを掴む。

経験と、指先の感触を頼りにして、そのライターの着火用ボタンに力をグッと入れ込めると、わずかな火花が弾けると同時に桜の花びらの大きさで火柱が立つ。その灯りがとてつもない強さの眩しさで、思わずボタンを押し込んでいた親指をボタンから離し、反射的に炎を消してしまったのだが、確かに”見る”ことが出来た。ここで初めてアキラが目にしたものは、自分自身の右手の親指の爪だった。

それからアキラはライターに夢中になって3本を使いきった。4本目は使い切る前に要らなくなったから消えた。

約4本分のライターが次々と起こした小さな炎で至近距離だけを照らして見て周る動作を続けることで、時間を舐めるようにしてアキラはしばらくの時間を過ごした。

その間に懐中電灯や松明なんかの大きな明かりを欲っさなかったのは、アキラが全裸だったからかもしれない。

ライターの灯りで自分を照らして自分が全裸であることには実際に気づいたのだが、裸であることに気付いて驚いたり、ましてや恥ずかしかったりという感情は微塵もなかった。そもそも服を纏っている時の肌の感触は初めからずっとなかったし、自分以外の人間の存在を感じてすらいないから、裸であることについては、やっぱりそうか、といった具合だ。

瞼を閉じさえすれば、自らの意志ででも作れる「暗闇」という日常のありふれた世界。

謂わば、何もしなければ何も起きはしない世界。

しかもここでは、望めば何でも叶うと伝えられている。まるで夢の中の様な平穏の世界。

ではこの世界の中で、アキラが起こしてきた一連の行動は果たして平穏の証であったのか。

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 (続く)『川』(7:了)


・更新履歴:初稿<2017/06/23>