[或る用の疎]<3>第1章『川』(3)

ケイジは味噌鍋うどんの汁をトンスイに上げてから、セットで2個付いているオニギリの2個目をその中に沈ませてグズグズになるまで箸とおたまで突き崩しておじやみたいな物を自作している。カツミは熱々の椎茸をトンスイの中に移した半熟状の黄身に潜らせることで椎茸を少し冷まし、それでも少し恐る恐る前歯でゆるく噛んで熱さの具合を確かめてから口の中に運んだ後にゆっくりと咀嚼をしながら話を再開する。

「アキラが抜命したとって、どんくらいの奴らが知っとるとやろかね。」

「オイとカツミくらいやろ。あいつは立場の割には個人的な付き合いがある人間の少なかけんな。アキラのことを知ってて、ことあるごとにアキラの周りを取り巻いて楽しそうに賑やかにしよる人間とか、アキラと仲良くしたくて笑顔で近づいてくる人間は沢山おるって言いよった。それで知り合いだけは五万といるけど信用できちゃう人間はその中では増えない、って話ばようしよったさ。」

「ああ。仕事関係はね。」

「お前はどがんや。長いことずっと飲食業しよけば色々あろうもん。」

「何もなかよ。定食も出すごたるつまらん似非喫茶店とに。」

「夜には照明落として良か酒も出してからBarのごとしよっけん。何となく偉か人達とも仲良うしてきたとやろに。」

「オイはそげんマメやなかけんね。」

「よう言うわ。ワイが手抜きしよってあがん繁盛ばし続けゆんもっか。オイだって何遍もワイんとこのお客さんばウチの同僚に紹介してもらって感謝されたことか。ありがとねえ。」

ケイジは最高におどけた顔をしてから一気にトンスイの中身を吸い空けて軽く目を閉じて鼻から息を抜いて、色んな食材が混ぜこぜになった出汁の香りを確かめる。たかがファミレスでよくそこまでやるなあ、などと思いながら微笑む料理人のカツミは、椎茸の次に長ネギを半熟卵に突っ込んでぐるぐる回しながら続ける

「お友達フォルダの中の知り合いばっか。」

「そう、翻訳AIのおかげでなあ。The・サラリーマンのオイでもめちゃくちゃ友達おるもんなあ。死ぬまでに世界一周旅行ば何回すれば皆んなと会えるごとなるとやろか。地球上のあらゆるとこにお友達のおるてバリごつか。」

「ああ。まさかの世界中。」

彼ら3人が青年だった頃にWEBサイトや雑誌、テレビなどといった”マスメディア”で、NEWオープンの店やプレイスポットや世界遺産を眺めていたよりも低いコストで世界中の人間の情報を観ることができる現代。世界中のほぼ全ての善良な市民は、それぞれが脳内へ取り込まれた”情報=記憶”を公営サーバーに記録保管している。また、脳内の記憶領域とは異なる有機的な変化を伴う脳みそのパーツはブレインと称されている。そして体内にブレインを持ち続けながら、体外にもサーバーを持つのが一般的だ。

 

50年余りの歳月をかけて徐々に徐々に転換の時期も経ながら、デジタル技術の2進法の概念が世界を牽引してPEACEが現実のものとなりました。

そんな今。地球は、争い、喪失、不運の無い完璧で素晴らしい町。

我々は冥王星に住んでいます。ここは皆さんの暮らす地球とは違ってまだとてもとても過酷な星なので、皆さんのHAPPYの色一色に色濃く輝く地球がREALとしてストレートに我々の視界には入ります。だからこそ、1つになった地球を町と呼ぶのです。そして、まだ過酷なこの星に住まうことで、”2度と地球がデリートしてはならないsomething”を守り続けます。またそれを、いつの日かPEACEが必要とする時に地球まで届けます。

この行為はLOVEです。

 

という、アルファベットと数字も混じった日本語で289文字のメッセージが地球上の全ての善良な市民の通信フォルダで開封されたのが、30年ほど前。チーム・トリプルKが”還暦”を迎えた年だった。

 

 

フロントガラスに付いた水滴の先の景色は不均一に拡大縮小されて滲む。水滴から視線を外せば、そこには水滴の中と色使いは似ていても決して同じではない風景が広がる。フロントガラスの方々に張り付いた水滴の粒の中を順繰り見つめて静かにしている助手席の君と、目の前の交通状況に意識の殆どを持っていかれて無口で静かな私。水滴の滲み歪んだ世界の中へ引っ張り寄せられていく心地が好きだと言う君は、脳味噌のてっぺんあたりが段々とキラキラしてくるみたいなんだな、て言う。車の進行経路マップに注意深くするのが常の私の乗車中は、運転席には座っていなくてもそんな些細な出来事に対してはいつも気もそぞろだ。だから、会話の脈略や同乗者の機嫌なんて何だか要領を得ないままで薄い笑い声をただ立てて、時折横目で君のあちこち動く横顔や肩口に流れる髪をちらりちらりと見ているしか出来ないんだよ。

この日は私が抜命予約を入れている日の2日前の日。昨晩の雨雲が東の方向へ流れ流れた後の青空全面から地上へと向けて注がれた光が、行くあてを悩んでいる蒸気を瞬く間に蹴散らし昇天させて街を乾かしてゆく。その一連の音が私の喉の奥まで侵入して食道に張り付き、鼻の奥の所がカラカラだ。それで仕方なく1度だけ、少し顔をしかめて口腔にあった唾液をひっかき集めてごくりと奥歯の歯茎の所の筋肉を絞るようにして食道へ注ぎ込むと、このままハンドルを動かさず、ブレーキを踏まず、この真っ直ぐな国道を進んで加速していくこの車が前輪から宙に浮いて太陽を目指し上昇しては空の中へと消え入る、という空想が浮かんだ。今となってはサーキットコースでしか運転してはいけない静的ドライブモードの車を運転していた頃を思い出し、何故だかすがすがしくて早々と1日を満足した。

それから車の窓を開けて軽い湿気を含んだ外気を鼻からすぅと吸い込んだ瞬間。軽いめまいがして思わず瞬きを繰り返したが、めまいの朦朧が晴れて落ち着いた時に私が居たのは真っ暗な闇の中でした。

暗闇

しんと冷え切った大きな岩が積み重なった地下牢の様な。

遠くから振動として音がかすかに連なって届いてくる胎盤に包まれている様な。

ジンベエザメにオキアミやプランクトン達と一緒に飲み込まれた様な。

陸地から何千メートルも落ち窪んだ深海の様な。

非常灯の光まで落とされた映画館での上映開始前の一瞬の間の様な

嫌な予感が押し迫って来てはのしかかっても来て、それをどうしても振り払えずに、懸命に寝ようとすればする程に寝付けなくなったあの日の夜の様な。

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(続く)『川』(4)


・更新履歴:第二稿<2017/04/28>

・更新履歴:初稿<2017/04/10>