[或る用の疎]<2>第1章『川』(2)

「嫌な事があった時にいっつも、なんで?て思うのとかめんどくさくなかと⁈」

「なんで?」

「こんな話も嫌なんかい!」

「ああ。そうなるんか。」

カツミが、両端の少しつり上がった口角を真横に広げて上下の歯を最大限に見せた笑顔でとぼけたように言う。

「当たり前たい。」

ケイジは目を見開き口先を尖らせながら戯けた口調でカツミにツッコミを入れる。

「たしかに。」

「カツミやぜかなあ相変わらず。」

胸の前で腕を組んで、肩甲骨からヘソの裏側あたりまでをソファーの背にぴったり預けたまま、真円に近い本当の丸顔で目と口も猫の顔の様に丸々しい面立ちのケイジは不満げな表情をするが、どうしてもコミカルなケイジの雰囲気は尖ることがない。

「あ。」

「なんね。」

「うん。あいつ笑顔で死んだごたる。」

カツミが不意に真顔になって、そう言いだした。

「あいつ?!アキラ?」

ケイジが不満げな顔から打って変わって眉をひそめて訊ねる。ちょっとくらい険しい表情になってでもケイジのコミカルな印象に変化は起きない。

「そう。今、市のホスピタルWEBサービスシステムから連絡来た。」

カツミは向かいのソファーの空いた席を見つめて言う。ケイジはカツミと同じ場所を無言で見つめ、自分の通信フォルダをチェックしている。

 

《長崎市ホスピタルWEBサービスからの配信です。

2059年3月1日14時丁度。松尾晃殿ご本人のご意志に添って、 厳粛なる法令制度の元での抜命処置をお受けになられ、

安らかな笑顔で永眠なされましたことを貴殿へお知らせ申し上げます。

尚、この配信は故人のご遺志にあった先様へのみなされております。》

 

今日これから会う約束をしていた人間が死んだ。しかもその人間は友人だ。

「これでチーム・トリプルKがKKコンビになったな。思ってたより早かったわ。」

「時間が経つのを早く感じてるのはケイジの方で、アキラにはバリ遅かったとかもよ。」

「カツミはどがんね。」

「なんで?」

半世紀ほど前とは違って老人達だけの憩いの場になった繁華街のファミリーレストランの常連客・老人KKコンビは示し合わせた様に2人して通信システムをオフにし、とりあえず目の前の不味そうな食事へ向かう。

カツミは鍋焼きうどんを鍋から直接すすり、ケイジはみそ鍋うどんをトンスイに少しずつ移してすする。カツミの鍋焼きうどんには海老の大きな天ぷらと半熟に煮られた全卵、それに白菜やワカメ、ピンクと白の色が付いた半月切りの蒲鉾、油揚げなどが入っていて、その中で半熟に煮えた全卵だけをおたまでトンスイに移しながらカツミは言う。

「本当に嫌な事には”なんで?”って言わんとよ、俺。」

「知っとるし。」

かたやケイジのみそ鍋うどんの中は、極めて薄くスライスされた豚ばら肉や白菜、細くカットされた人参、シャキシャキとした良い食感のモヤシ、そして油揚げが具になってる。ケイジはトンスイの中の半熟卵の黄身の中へ箸を揃えて突っ込んで、更に箸先を小さく回すことで黄身の煮え具合を確かめながら話を続けた。

「アキラ、どっちにしようか迷ってるから俺らの意見も聞きたいって話だったよな。生きてるのも抜命するのも、どっちもつまらんて言うてから。」

「うん。鍋焼きうどんの中で半熟になった卵は、はじめにトンスイに取り分けておいてから食べ進めるのが正解、ても言いよった。」

 

約20年前。当時の政府は、年齢が90歳を越えた者は本人の意志であれば寿命を迎える前に自ら命を絶つ選択をする事が出来る、といった内容の法律を定めた。この法律は21世紀初頭から一般的になっていた早期優遇「退職」とは違って何の優遇措置は無く、ただ早期「退命(公式には「抜命」と称されている)」を許可するだけの法律。自らの意思で苦しまずに死ねる事が唯一無二の優遇措置、とでも説明すれば良いのか。

実際にこの抜命の権利を有する90歳以上の当事者達自身も、その程度の理解で充分だと思っている。それは、年を取るごとに体力が落ち、それぞれに何かをやり遂げた自負や取り返せない後悔もそれなりに幾つかずつは持っているが、これまで程には夢や希望もそれに伴う危機感やそれとは真逆の空っぽな自分が内包する疎外感などをほとんど持ち合わせている訳ではない年齢であるのがこの当事者達の大半であった。そしてそういう者達は分かりやすく老人であり、分かりやすい解釈を選びやすくもあった。だが、そんな90歳以上の者達の中にも、死の方が自ら迎えに来てはくれない現代にストレスを抱える「分かりやすくない高齢の者達」も少なくないのが政府にとっては見過ごせない現状であった。というのも、高齢ではあるが老いてはいない者達が、自らの子供や孫達の世代の者達と精神的なところで未来を共有する術は簡単ではなかったからだ。

1970年代に生まれた今90歳あたりの世代を仮に親世代と名付け、2000年代生まれを子世代、2030年代生まれを孫世代としてみると、親世代が90歳、子世代が60歳、孫世代が30歳、その更に下にも幾つも異なる年齢の世代が存在するし産まれ続けもする中で、それぞれの世代が「未来」という言葉を目の前に出された時にイメージする「世界」は各世代の中ごとにはある程度の傾向はある。だがしかし、世代を越えても存在しうる傾向はまだ存在しやすくはない時代だ。そんな時代に政府は「世代を越えて、皆んなが共有できる未来を持つこと」を”社会の成熟”と位置付けたのだ。

「なんで?」

「犯罪抑止力を強くするためたい。」

「それから経済活動をより活発化するため、もだ。」

アキラはいつも標準語を使う人間だった。チーム・トリプルKだけで集まって話をする場であっても標準語で、通称・拔命法が国会の審議に上る事となり、「抜名」という言葉がネットから始まってあらゆる全ての情報提供媒体で発信されて世界中で騒動となっていた30年ほど前。チーム・トリプルKの3人は、まだ還暦を迎える辺りの頃で。カツミは、飲食店を自営していて、ケイジは企業のオフィスにデジタルサプライを卸す企業の総務。アキラは、不動産関係の企業の子会社の役員であった頃だ。この3人の世代が、昭和の事業遺産に助けられながらも失望をし続けた「中途半端な大人達」と何十年も呼ばれ続け、そのキャラで見られることに諦めようかとしていた頃。

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(続く)『川』(3)


・更新履歴:初稿<2017/03/27>