エッセイ -3- 「もう一歩」

つい最近までは『リスク(危機)』を軸、テーマ、コンセプト、視点、大義、
要は「特筆する判断基準」として発信された情報を受ける日々が多かったかの様に考える今日。

そして、そんな今は『倫理』が『リスク(危機)』に取って代わり切った様に思っている。

 

にしてもどちらも、我々大衆が容易に参加しやすいネタを用いた発信方法で届けられる情報であることに変わりは無い。

 

またどちらの要素(リスクと倫理)にしても
「それについての管理能力を持ち合わている訳ではない大衆」
がうず高く盛大に作り上げられている。

尚、ここで私が表すところの「大衆」とは「いい人」と言った方が分かりやすいであろうか。

 

リスクにしても倫理にしても、
それらは”もう一歩”を踏み込んだ感覚のことであり熱を帯びないものである。
地球規模での広い見識の元にある客観性がその感覚を働かせるのには必要だ。

だがそれを一般的な領域に暮らす我々が実行したり、他者達の中で発現をし得るだろうか、否。

 

かたや、いい人は流行で、いっときの熱(高低はどちらも可)そのものである。
我々の居る狭い領域の中だからこそ発生しやすい熱である。小さな空間や狭い隙間が我々の心地良い居場所。

 

嗚呼さて、そろそろ〆よう。

 

『エラー(過ち)』を無くすための社会教育を受けながら、

明るく楽しく生きるのが正解と自らを鼓舞するスイッチを

確実に取り付けられた我々大衆の未来の在り方は

良くも悪くも「若年性痴呆者」である。

一昔前には「思考停止」とされたソレだ。

 

今時の若者は常にそうであるし、昔の若者は幾つになってもそうだ。

〜2018.05.04の出来事より〜