– First order –
“ Smoke & Cat ”
第5話
さっき母からのコッタの異変を伝える電話があったのは、
まだかろうじて職場で同僚のみんなと話しをして回っている時のことだった。
なんと、あなたは知らないだろうが、
私がその職場を退職する日だったのだよ今日は、母様。
10年間程は勤めた大手チェーンのカフェ。
特に突然の急な退職ではなかったので積もる話が尽きずに
延々と帰れないなんて状況ではなかったからマシだったけれど。
それでも退職の挨拶もそこそこに更衣室にもあっという間で別れを告げ、
そそくさと車を走らせる事になってしまってはいるのよ。
「また今度に改めて皆さんで楽しめるお菓子でも
持って来させてもらいますね…
急な用事が実家で出来てしまったもので、
これまでにお世話になった御礼も碌に出来ず…すみません。」
よりによって、世話焼き気質だけど其のぶん口やかましくもある先輩のお姉様バリスタには、
バックヤードで資材棚の整理を自らされているところを何とか見つけ出して急いで掴まえ、
恐縮した構えでそれだけを告げて頭を下げることしか出来なかった。
今頃はきっと他の周りのスタッフ達に私への不満をぶつけている最中だろう。
“猫ちゃん達にハトの餌をポッポ撒けども撒けども、
どの猫ちゃんにも見向きをされないのに苛立ち、
不穏に目尻とフォックス型の眼鏡をピクつかせる
頰の痩けた年増の女”
私なりの女のプライドが疼いて少し感じる痛みを、
そんな皮肉交じりの想像で誤魔化しながら癒していたところ、
それとは全く関係の無い別の不都合な見落としに気づいてしまった。
「ああ、明日の帰りの時のことなんて考えていなかったな私…」
だいぶん実家のある町が近くなって来た事で天気の具合が劇的な変化を見せ出し、
フロントガラスにぶち当たってくる塵ゴミの様な無尽の雪と勢いを増したワイパーが
善美の頭部を掴んで激しくシェイクしてきて大きく不安にかられる善美。
「この雪が積もっちゃったら車動かないし。」
ガラッ‼︎
ピシッ‼︎
「やっば…雪雲の下に入っちゃった。」
ついに善美の車はこの街を覆い尽くす雷雪の激しい歓迎を受ける場所まで辿り着き、
より一層に太いエンジン音を立てて進む。
対向車のフロントライトに刺され、慌てて善美もハイビームを付けてハンドルを強く握り直し、
目を凝らして注意力を運転に集中させる。
「も~…コッタぁ…」
この天候不良に押されて早目の移動を急ぐ車両の群の道は混んでいてスピードを出しては飛ばせない。
その退屈で、雪慣れないこの地方都市の暮らししか知らない善美の不安は余計に増していくばかりか、
降りしきる雪の勢いを一瞬だけ邪魔する位にしか働けていないワイパーは、
ひたすら空振りを続ける野球のおもちゃの様に間抜けで可笑しくもあるのだが、
コッタの容体を殊更に悪い方向に解釈する感情の勢いと涙鼻が止まらない。
気晴らしにカーステレオのボリュームを上げてみたが、
夏を懐かしむクラシック・レゲエが流れてきたものだから、
善美はすぐにまたボリュームを下げて鼻水を啜る。
クイックイックイッ
ワイパーがフロントガラスを擦る音。
ウウーッ
カンカンカンカン
ウウーッ
カンカンカンカン
緊急車両の近づく音。
グ~
「モーッ‼︎何なのよ私はッ‼︎」
食欲をどこかに置いてきても、お腹は減るのである。
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・初稿投稿日:2018/03/30