目新しい真新しい旧い古い洋館の出来事<11>

● 逃亡 ●

ススー「もう戻れない。

もう戻れない。もう戻らない。

もう戻らない。もう戻らない。」

 

雨に濡れ、草木の屑にまみれた傷だらけの体でひたすら走る。

花火の打ち上がる音が次々に背中を押して

自分を気持ちまで一緒に先へ先へと押し出してくれていて、

寒さや痛さの辛さが気にならない。

 

でも、その花火の破裂音と自分の足音とで、
追跡者たちの気配が耳に入らないのは不安でしかない。

 

それでも、休むことなく繰り返し続ける短い間隔の呼吸が、
不安の増殖を妨げてくれていて、

 

アノ人は何をしているんだろう。
アノ人の無事を知りたい。
アノ人はどこにいるんだろう。
アノ人に会いたい。
アノ人のそばに早く行きたい。

 

 

朦朧としてくる頭の中で似たような言葉を
何度も呪文の様にして繰り返す。

 

アノ人と話す時に使っていた、
アノ人も自分も暮らしたことはない、
あの祖国の言葉で。

 

ススー(三年前。あなたは私にこう言ってくれたわ。)

ポルン「僕はもうここに留まって居たくはない。僕らは祖国を捨てた男と女の間に産まれた者同士。しかも僕の母親は父とは別の祖国を持っていて、君の父親も君の母親とは別の祖国を持っている。そして、僕の父親と君の母親とは同じ母国を持ちそれを一緒に捨てた漂流者仲間。だから、僕らは半分ずつ同じ国の血を持っている者同士だ。そんな僕らはそれぞれの両親にそれぞれの国の悲しい話を聞かされながら育ってきた。更には、ここの暮らしは幸せで、全てがかけがえの無い事で満ちている、と何度も何度も言うんだ。」

 

風が止んで草木も黙る。

 

ポルン「幸せだ。幸せだ。って。ここには自分たちが欲しかった生活がある。本当にあんな生活を捨てて逃げて来て良かった。って。そして僕らにはもうあんな思いをさせたくはないし、誰にもここの邪魔なんかさせない。って。」

 

目の前の岩場に小さな波の打ち寄せる音が耳の奥をくすぐる。

 

ポルン「だってさ、そんなことを話す親達の顔を見ていたらさ、初めの内はそうなんだってただ思ってたけど。今気づいちゃった。」
ススー「今?」

 

ポルンが右手を真横に伸ばし、人差し指で草むらの中の1点を指しながら、私の視線を顎で草むらの方へ促す。

 

ススー「石」
ポルン「亀」
ススー「親の顔が亀に見えたの?」
ポルン「あの亀さ、ずっと動かないんだ。でね、よく見てみると甲羅が割れててさ。誰かが叩き割ったのか。たまたま重い荷車とかに踏まれたのか。甲羅が寿命になっちゃったのかな。」
ススー「死んでるね。」
ポルン「死んでるよ。」
ススー「それで何に気付いたの?」
ポルン「悲しいかい?」
ススー「悲しいよ。」
ポルン「そうか。」
ススー「悲しいでしょ?」
ポルン「見つけた瞬間には悲しさが来た。」
ススー「ん?でも、って言いそうだね。」

 

ポルンは少し笑っている。

 

ポルン「あんな黒みたいな灰色のノソノソしたヤツがさ。もう割れちゃっているけど、あの硬い甲羅に包まれているのはぶよぶよの体でさ。何か嫌なことが起きたら甲羅の中に逃げ込むんだ。」
ススー「それがまるで館と私達みたい?」
ポルン「それが、俺達はそこまでも立派じゃないよ。」
ススー「何よ。その立派って言い方(笑)」
ポルン「亀だったらさ、自分で歩いたり泳いだりして好きなところへ行けるじゃないか。甲羅を上手く利用して気ままにさ。でも俺達にはそんなことはできないだろ。所詮は砂時計の砂さ。」
ススー「うまいこと言うじゃない(笑)私達の命は時間を計ることくらいには役立っているんだね。」
ポルン「でも、甲羅に入った亀裂を見てたら悲しくなくなった。」

 

私は亀からポルンへと視線を移す。

 

ポルン「あの甲羅の亀裂から、この世の全てを変えていく虹みたいなのが飛び出てきたんだ。そう見えたんだ。それで悲しくなくなった。」
ススー「ポルンの感情が変わったんだね。」
ポルン「俺、館から出るよ。俺らはここで産まれて、ここで今まで育てられて、そして守られてきた。あの亀もきっと同じで、この館の領地と甲羅があって命があったんだ。でも死んじゃってさ。何でなんだかは知らないけどずっと一緒だった甲羅も割れちゃってて。さんざんだよな。俺も、ここで親達が言う事に浸って館の中で幸せってやつに覆われて死んでいった時にどんな姿をしているんだろう。」
ススー「死んじゃってるんだから自分では見れないわよ。」
ポルン「だったら生きている内に、もっと沢山の人に見てもらう。俺のことを。じゃあ俺行くよ。ススーは?行くか?」
ススー「私が一緒だとポルンの足手まといだわ。だから私は今日はポルンを見送る。」
ポルン「そっか。俺は先に行って、山の向こうで待ってる。」
ススー「いってらっしゃい。」

 

ポルンは「行ってきます。」とだけ最後に言って、私には見えない彼方へと走り去って行った。

 

 

あれから三年、今日も夜空には何万発もの大きな花火が上がっている。

 

ただ、三年前のあの日は今日と違って空は晴れていて。

館を出たポルンを見送った私は、その二時間くらい後に

自分の部屋の窓からこの花火を見ていた。

 

今までも数年に一度、不定期で、時間帯もまちまちに

花火が上がる日があった事は親達から聞いていた。

 

でもあの日は、久しぶりの花火に喜ぶ親達も私も何の気もなく、

このふいに訪れる非日常的で華やかな景観を

ただ楽しんで眺めていたものだった。

 

でも今となっては分かる。

 

この花火は、

館の住人に逃亡者の存在を隠すために打ち上げられていたんだ。

 

今夜は、私を隠すために。

 

♠続く♠


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・初回投稿:2018/02/15