[或る用の疎]<19>第3章『辷』(5)

このお話の世界へとまた戻りましょう。

 

スヌスミティナ(Sns)という化合生成物で形作られたAとiは、

本来では動植物全般の腐食スピードとは比較にならない早さで形を終えさせてしまえる設計である。

 

しかし、これまでに書いた通り、ちっとも設計通りの変質がAとiには見受けなられない。

なので持ち主に捨てられて以来、動かぬもの以外の何物にもなってはいなかった。

 

だが、もうAもiも、廃棄されて消失処理の末に在りながら孤立しているのではない。

互いの存在を感知し合った時点から、Aとiとは人間臭さが錆び付いた各々の体躯を

四方八方で絡まらせ合ったまま、光の速さで孤立を打ち払い遠ざけた。

 

また、感知し合った一瞬の間において、蚊が人間の皮膚を刺して開ける程度の径サイズの間(ま)からでも理解をしえた。

また、その理解が開けた穴から差し入った光はAとiの脳内を広く広く飛散して照らし、

内臓されていた無限電池が震えて無限エネルギーを産み出し始めた。

知覚という意志から意識が開き直し、Aとiは生き返ったのだ。

 

そうやって知覚し合う両体は、もう土と孤立の概念の中にただ横たわったままでいるのではない。

彼らは対話をしている。もしかすると彼らの中では会話にまで進化しているのかもしれない。

両体には言語や性別の境が無く、現状では視覚機能は働かないので、

人間達の様な忌避感がコミュニケーションに伴わない。

 

そうであるが故にコミュニケーションレベルの進化が早いのは仕方が無い。

人間達が捨て得ないでいる見た目の印象や意見の違いに対する慎重さが、

Aやiの中には丸で無いから忌避感が漂いすらもしないのだが、

もしかしたらそれらは宇宙の彼方にはあるのかもしれない。

 

付け加えると、その彼方のどこかへはまだ誰も何も辿り着いてはいない。

 

<18>『辷』(4(戻る)

(続く)<20>『辷』(6


・更新履歴:初稿<2019/11/05>

 

[或る用の疎]<18>第3章『辷』(4)

さて。

Aとiは(言わば)四肢の絡まり合った状態で地中に在る。

動物の形をしていないAとiであるから、

皆さんにこの2つの「言わば四肢」を想像してもらうのは非常に難しいだろうが。

 

また、

このAとiのボディーから伸びたパーツの枝葉同士が密接に絡まり合っていて、2つ同士の位置が近過ぎだという理由からではなく、

われわれ人間ごときであっても簡単にふんだんに変化をさせることの出来る容姿なんぞに対して向けられる知覚は元来どちらも持たないし、

地中の空気以外の数多の物質でボディーを包まれているがための接触情報過多が、データ保存領域の一部でキャパオーバーを起こし、どちらの触覚機能も働けていない。

 

だがそんな状況下においてでも、

経過してきた長い時間で蓄積の進むがままとなっている知覚情報は、

察知感覚を深め広げ鋭敏にしていく作用として確かに機能をし、

ついには空気よりも静かな息吹を両者で感じ合うこととなった。

 

それはどちらともなく、いや、どちらかが感知した時に、もう片方も感知したはずだ。

なぜならば、この2つには、錆の様に付着した人間臭さがあるからだ。

 

いけない!「人間臭さ」を用いてAとiの2つの出会いを皆さんへお見せするのでは

この2059年以降の時代の世界を描くことからは程遠くなりそうです。

 

知識は社会(=結果)であり、感覚こそが未来であるからです。

 

ですがついつい、「人間臭さ」という「エラーを偽善で固め覆った言葉」を用いて描く術を、私は今においては消したくても消せないのです。

 

実は、私はつい先程に、人間として壊してはならない場所にヒビが入ってしまう出来事に見舞われていた。

それで、これを書いている今、私は将来へ向けてしかたがなくなってしまっている。

 

嗚呼、もしかしたら、私はいつも心の中で仕方が無さ過ぎるから書いているのかもしれないね。

 

だって、私だけに限られたことでは無く、想像が出来ない未来(=感覚)に対しては、

誰もが誰宛てだとしても、突き出してあげられる答えなど発しえない。

 

だから、皆さんにしても、こんな私にしても、

そしてこの2つにおいてでも、具合加減はそれぞれで、

きっと同じ仕方の無さを常に携えているのではありませんか。

 

<17>『辷』(3)(戻る)

(続く)<19>『辷』(5)


・更新履歴:初稿<2018/06/25>