ヨシハチは変声期<10>

今日まで俺が塾に行かないままであったのは、既にあるどの塾も車での送り迎え無くしては通えない場所にしかないからだった。

たぶん。

軽自動車ではあるが、父も母も車をそれぞれ1台ずつ所有しているのだから、これまでも送り迎えは物理的に不可能な手間では無かったはずだ。

俺が想像するに、実際のところは、送り迎えの車で出来る渋滞を嫌悪しているから、俺を塾へ通わせたがらないのだろう。
渋滞を作ってしまうのを避けられないままに車での送り迎えを続ける他の親達と同じ人間の部類に父母は入りたくないのだ。しかしながら、遂に今夜は父母の口が塾についての話題を発したのだ。

「切取町に新しい塾が出来たのよ。」

「そっか。良かったじゃないか。」

ここで父が言った「良かった」とは?
この反応が作る風向きは、俺をどこへ飛ばしていく方角を差していると捉えるべきなのだろうか?
母はどこを意図して父にまで伝えることとしたのか?
俺の年齢を加味して「そろそろ塾にでも」と思っていたからなのだろうか?
父の発した「良かった」は、単に父がリビングでの母との会話を無難に進めたい気分から口走った「良かった」だったのか?
はたまた俺が塾へ通うのに丁度良い立地だったからなのだろうか?

この時の俺はエアコンもヒーターも電灯もとうに切ってしまった後の冷んやりとした小さな部屋の暗がりの中、鼻腔の真下まで引っ張り上げた厚い布団の掠れる音すらもさせない様に微塵も動かず、鼻の奥と口の端から流れ出る温かな自分の息づかいに煽られて昂ぶる気持ちから、両目の瞬きを抑えられないでいた。

そんな閉じられた場所に居る俺。

リビングに居る夫婦の未公開バランスシート。

狭くて広い世界の君達。

許す事をまだ知らないパピルニーの囚人達。

来春から俺は切取町のコマドリ塾へ通う。

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