これまでに自らパピルニーを出ようとした者達は死ぬほどの数でいはするが、ここは無数の世界観と世界観とが折り合い分かち合いしながら無限に広がってゆく未来を期待されている場所。だから、自ら逃げ出す様になんてして離れることの出来た者はいないだろう。
時が来てお迎えの役目を負った担当者から送り出されるパターンしか、パピルニーから離れられる術を俺は知らない。
当たり前だが、パピルニーのあるエリアは海に接している。
山もあって森や川もある。
だが他に具体的なパピルニーについての特徴は無い。
普通だ。
聖徳太子は、和を以て尊しとなす、と言ったと教わったが、そんな言葉すら誤解に塗れている世界という点などがパピルニーも同じだから普通なんだ。
「パピルニー。」
たかしが俺の前に立ち、俺の手元を見下ろしながら笑っている。
「よしはちって、それ言うのが好き過ぎだろう。」
「好きも嫌いも無いの。」
「好きでも嫌いでも無いなら何なの?」
「習慣かな。」
俺は自分の手元から目を離さない。
「パピルニーって呼んでないと、この世界に染まって、それから自分が透明になっちゃいそうなんだ。」
「染まるのに透明なんだ。」
「染まるのに透明になるのは確かに変なんだけど。このハサミムシの頭や腹の黒みたいな濃さの色で生きていたいんだ。」
「気持ちワル。」
「だったら見ないで。俺の大事なハサミムシを悪く言うんだったら。ハサミムシ、見ないで。」
だが、たかしもオレと一緒にしゃがみこんでハサミムシに息を吹きかけてはハサミムシのリアクションを窺いながら
「お尻に生えてるハサミって攻撃力高いの?」と訊ねてきた。
「さあね。闘ってみたら?」
「うーん。」
たかしは、和式便所に居るみたいな格好で無表情なまま、俺とは別の地面を見つめている。
無表情で不恰好な人間を見つけると、俺はからかいたくなるし、心の中では既に嘲笑っている。
「闘わないの?」
「オレはただ、よしはちのタタカウとかいう言い方が気持ち悪いんだよ。よしはちと話してると、いつもタタカウとかの話になっていっちゃうのが恐くて。それで嫌な気持ちになっちゃう時もたまにあるんだよ?」
たかしはいつも俺に優し過ぎて、今も俺は体のどこかを一瞬だけ細く抓られた時の痛みを錯覚として覚える。
そして、すぐにたかしに何か言葉を返さないと、たかしが俺を透明にしてしまいそうで、それで不安な気持ちになってしまうが、俺はいつも通りに何も言い返せないまま、たかしと目を合わすことすらも出来ていない。
それどころか「俺が恐いって言いたいの?」という言葉しか思い浮かばないんだ。
だけど意識的にそんな言葉で返さないのは、たかしに嫌われたくないからだ。